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3月, 2025の投稿を表示しています

カラチ離任

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 2022年3月1日にカラチに赴任しました。それから3年間の任期を終え2025年2月28日にカラチを離任することになりました。 民間企業とは異なる組織での戸惑い、作業服を着ているだけで作業員と見做すカースト制度の残るパキスタン社会・・・、そして従来の経験とは大きく異なる仕事の進め方を学ばせていただきました。効率を追い求める民間企業の仕事とは異なり、心豊かに仕事をすることもあり、かな、と思わせてくれた3年間でした。 私の提案を認めていただき業務を任せてくれた方々に感謝いたします。 3年間のカラチ勤務でしたが心優しいパキスタン人に囲まれて仕事をすることができました。仲間には恵まれました。私が拙いウルドゥー語で話したのに、私が何を言おうとしているのか斟酌してくれた現場の仲間には大きな感謝しかありません。 アープ セ ミルケ フシ フイ  このブログは番外編として下記の旅行の写真を順次アップしていく予定です。 1.ラホール 2.タキシラ  3.ムルタン/モヘンジョダロ 4.フンザ 5.ムジェハラバード(カシミール) 6。タッター 7.モロッコ(国外) 8.ウズベキスタン(国外)  9.バンコク(国外)    2025年4月から2027年3月の2年間の予定で東ティモールに赴任します。相変わらずの「非正規派遣労働者」です。 引き続き「ディリの路地裏から」と題して東ティモールの生活や東ティモールとはどういう国なのかを発信していきたいと思います。 「ディリの路地裏から」 https://shinasann-dili.blogspot.com/ 乞うご期待  Coming Soon

150件目のブログ

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 カラチでの任期満了日が近づいてきました。このブログは2年間で100件の更新を目標に書いてきました。今回で3年間で150件になりました。目標達成ということでしょう。区切りの150件目は何を書こうかと思いましたが何も思い浮かびません。 1)砂糖の作り方  サトウキビを絞った果汁を煮立てて作ります。パキスタンの街角ではサトウキビ果汁のジュースを売っています。それを煮立てて作ります。大きなフライパンのような鍋です。火源はサトウキビの茎です。暑いパキスタンでは重労働ですね。白砂糖とは異なるおいしい砂糖ができます。この砂糖を使用したチャイはとてもおいしい飲み物です。 2)射撃練習  すでにブログで書きましたが、同僚に誘われて射撃練習に行きました。2回目です。的に当たるようになってきました。 当たっていますヨ 使用した銃

パキスタンの世界遺産

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 ユネスコの世界遺産に登録されているパキスタン国内の文化・自然遺産は 文化遺産 1)モヘンジョ・ダロの考古遺跡(1980年) 2)タキシラ(1980年) 3)タフテ・バヒーの仏教遺跡群とサハリ・バハロールの近隣都市遺跡群(1980年) 4)ラホールの城塞とシャーラマール庭園(1981年、2000年から2012年まで危機遺産登録) 5)タッターの文化財(1981年) 6)ロータス・フォート(1997年) 自然遺産 自然遺産に登録されている物件はない。 6つの世界遺産のうち4つを見学しました。 1)モヘンジョ・ダロの考古遺跡  モヘンジョダロの考古遺跡はインダス文明の最大級の都市遺跡と言われ、モヘンジョダロは紀元前2500年から紀元前1800年にかけ繁栄したと言われている。今でも遺跡の発掘が続けられている。 遺跡を修復管理している担当者と 栄えていた時はこのような感じで 2)タキシラ  タキシラ遺跡は紀元前6世紀ごろに始まったと言われる古代都市ですあり、パキスタン最古の仏教遺跡のストゥーパや、僧院、神殿跡、さらに住居跡などがある。タキシラは1世紀ごろには仏教文化の中心となり、この頃にガンダーラ美術というギリシャ、シリア、ペルシャ、インドの様式を取り入れた仏教美術が作られている。我々が知っている仏像とは異なり、仏像の顔つきが作られた時代によって変わっていくのを見ることは時代の変遷を理解するうえで重要なことである。 3)ラホールの城塞とシャーラマール庭園  ラホールの城塞の詳しい歴史はまだわかっていませんが、少なくとも1000年代には存在し、壊されては再建を繰り返しました。この世界遺産で特に有名なのが、城内にある大理石で作られた「真珠モスク」や40本の円柱が立ち並ぶ「40本柱の間」、壁に鏡が埋め込まれた「鏡の間」。そしてシャーラマール庭園は透かし模様が刻まれたレンガで囲まれています。 ラホールの城塞 バードシャヒー・モスク 4)タッターの文化財  タッターの文化財で有名なのが、ジャーマー・モスクです。こちらのモスクは1647年から1649年にかけて、ムガール帝国第5代皇帝シャー・ジャハーンによって建てられました。このモスクは鮮やかなブルーのタイルがとても美しく印象的です。このジャーマー・モスクは計101個のドームから成っており、拡声器などを利用しなくても、このモスク...

モザイク国家 パキスタン

昔、 「モザイク国家」がありました。カリスマ指導者チトーによって保たれていたユーゴスラビアです。チトー亡き後ユーゴスラビアは分裂しました。パキスタンもまたモザイク国家であると言える。 その前に、パキスタンの語源を知っていますか。 PAKISTANという国名は印パ独立前にムスリムが多数居住していた地域  パンジャブ(Punjab)  アフガン(Afghan)*1  カシミール(Kashmir)  シンド(Sind)  バロチスタン(Balochistan) の各名称の一部を結合するとともに、「清浄(Pak)な国(Stan)」という意味を込めてケンブリッジ大学のムスリム学生が創設した案*2である。 ウルドゥー語とは パキスタンの主要州で使用されている主な言語は下記のとおりである。  パンジャブ州    :パンジャブ語  シンド州      :シンディー語  バロチスタン州   :バロチ語  KPK州(北西辺境州):パシュトゥー語 そうなると、ウルドゥー語とは 新生パキスタンにおいて中立的な言語である。 ことから民族同士の対立を回避するための言語である。 パキスタンの主要民族は 主要な民族としてはパンジャービー、スィンディー、パシュトゥーン、バローチがあげられる。とりわけ、北インドから移住してきたウルドゥー語話者の住民はムハージルと呼ばれている。 1941年のムスリム人口  パンジャブ州    :1,600万人  シンド州      : 300万人  バロチスタン州   :   50万人  KPK州(北西辺境州):    75万人  ベンガル州 *3      :  3,300万人 出展:水谷章「苦悩するパキスタン」P21 ムスリムという宗教で結びつけられた国家としてのアイデンティティは低く各民族の対立が表出している。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー *1:元来パシュトゥーンと同意義であり当時はパシュトゥーン人が多数居住するアフガニスタンに隣接する北西辺境地域を意味した。 *2:Jaffrelot.A History of Pakistan and Its Origins. P13 *3:バングラデシュとして独立

パキスタン庶民の暮らし(3)

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 パキスタンは貧しい国です。以前も発信しましたが、ごみをあさっている人がいます。食料があればそれを食し、売れるものがあれば販売し、着られる衣類があれば転用し・・・ 町中のゴミ捨て場には人々が使用可能なものを探す姿が見受けられます。この方たちがどのような生活をしているのか、私にはわかりません。私が付き合っているパキスタン人は収入は少なくともそれなりの生活をしています。 写真を撮っていたら、ごみ捨て場からいなくなりました。

カラチの路地裏商店

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 カラチでは路上に「物売り」の屋台が出ています。果物や野菜の屋台はこのブログでもお話ししました。 チョット変わり種の屋台を紹介します。価格は驚くほど安い、でも品質は?、偽物、中古品様々です。Tシャツ1枚が500ルピーくらいから販売しています。もちろん古着です。女性の下着の古着もあります。売り方が楽しいですね。 飲料の屋台です。 午前10時頃です。昼食or朝食を売っています。ダルカリーを買っているのは知り合いの運転手さんです。食べるか?と聞かれましたがお腹がいっぱいなので断りました。ポリ袋に入れてくれます。1つが30ルピーくらいです。 並べ方がきれいだったので

サラメシ イン カラチ

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 NHKサラメシが終わりました。いつか投稿しようと思っていたのに残念です。 というわけで、サラメシ イン カラチ と称して私のサラメシを紹介します。 各自が持ち寄った総菜にロッティ(ナン、チャパティ)やご飯を分け合って昼食をとります。右手で手づかみです。日本人には嫌がる方もいるようですがシナサンは平気です。ただし周期的に「パキスタン腹」というお腹を壊します(下痢が続きます)。 では、一挙に紹介します。 そして、 最後に警備員さんのサラメシを

パキスタンで贈賄!!

 2024年7月から仕事が忙しくなりました。7月から4件の案件を並行して進めなければならなかったのです。 1.新居の改修 新居を改修するにあたりマスタープランを遵守するため土日なし午前3時までの作業を進めました。関係役所に午後7時までの作業許可を得ておりますがそれでは終わらないので休日なしで午前3時までの突貫工事で進めました。午後8時30分くらいに許可を出した役所の役人2名が見回りに来ました。いつまでたっても帰らないので、どうすればよいかパキスタン人に聞いたところお茶代を払えと言われました。お茶代はいくらくらいか聞くと、1,000ルピーだということでした。さらに財布をもっていってはいけない。財布を持っていくと財布の中身を全部出せと言われる、と言いうことで胸のポケットに1,000ルピー札を2枚入れて役人のそばに行き胸のポケットから1,000ルピー札を2枚だして2人に1,000ルピー札を1枚づつチャイを飲んでほしいと言って渡しました(胸のポケットには何も入っていません)。 翌日も午後8時30分くらいに別の役人が2名来ました。もう要件はわかっているので何も言わずに1,000ルピー札を1枚づつ渡しました。その翌日は私は現場に行かなかったのでわかりません。 2.旧住居 旧住居にはだれも住んでいないので見回りに行ったところ警官が2名来て問題があれば連絡をもらえれば自分が対応すると言い、自分の携帯電話番号を教えてくれました。彼らも15分以上帰らないので、用件が分かっていたので2人に1,000ルピー札を1枚づつチャイを飲んでほしいと言って渡しました。 これらは日本では良くないことですが、お金で時間を買う「特急料金」だと思えばいいと割り切りました。領収書がないので経費処理ができないことがつらいですね。

パキスタンの地政学上の位置

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 パキスタンという国はどういう位置づけでしょうか。パキスタンの地図を見てみましょう。 パキスタンはインド、中国、タジキスタン、アフガニスタン、イランに囲まれている。パキスタンは1947年の国家成立以来つねに安全保障上の運営を経済社会上の運営よりも優先させてきた。その結果、国家予算の軍事費負担とともに経済合理性を欠いた政策をとらざるを得なくなった(軍、エスタブリッシュメントの既得権益)。 イスラエルとガザ地区との問題と共通すると思うが、パキスタンはその周辺国に対する対応が激しいものがある。800万人以上といわれる難民と多くの流血により1947年の印パ分離独立に起因する印パ対立の図式は第三者から見ると「感情的」にさえ見える。印パの緊張、アフガニスタンのタリバンの影響、イランとの資源開発問題、友好的であった中国ともグワダルの港に見られるような中国覇権主義に対する中国人へのテロ攻撃など周辺国との関係に緊張感を持たざるを得ない情勢である。さらには宗主国であるイギリスやアメリカによる互いを利用しあう利己的な関係により、安全保障上の運営を第一義的に行わざるを得ない状況であったと考えられる。 このことがパキスタンを文教不毛の地域とし経済的に自立できない要因となっていると考えられる。エスタブリッシュメントの子弟はエリート校である英語系私立学校を卒業し外国での就学を終え、就業は外国で行うという人材流出となっている。同じ民族であるインドとの差は開くばかりだと思います。私が教えていた子供たちも優秀なエンジニアの卵ですが、パキスタンの身分制度の壁に阻まれてパキスタン国内では彼らの能力を発揮できないのではないのかと考えます。

パキスタン庶民の暮らし(2)

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 本ブログでは貧しい人々と富裕層の住居を提示してきました。ことにシナサンが貧しい階級の出身であるため貧困層には憂いの感を込めて提示してきました。それでは普通のパキスタン人はどのような生活を送っているのでしょうか。 2月の第3週に2軒の家族からご自宅に招待されました。家の広さは100㎡くらいで寝室が3部屋と居間その他です。家賃は30,000~60,000ルピーくらいだそうです。この部屋に5~8人で住んでいます。寝室にはベッドはなくマットレスを床に敷いています。昼間はマットレスを立ち上げて部屋を広く使用しています。ベッドのある部屋は休息や読書もベッドの上で行います。子供の学習も個室などはなく居間や食堂のテーブル、ベッドの上で行います。 来客をもてなすのがパキスタン人なので両家とも食べきれないくらいの料理を出してくれました。パキスタンは日本と異なり余るくらいの料理を出します。余った料理は客が持ち帰ることが多いです。 ちなみに富裕層はレストランなどで食事後、余った料理はテイクアウトしますが、運転手などが貧困層の人々に差し入れをしているようです。 そして、パキスタン人の大好きな写真撮影、ホントに写真撮影が大好きです。私は「珍獣」を見つけたかのように写真を撮影されます。 贈り物としていただいたパキスタンの民族衣装である「シャルワーズ・カミ―ズ」を着用した家内と知人の奥様と娘さんの写真。家内のボリュームはパキスタン人に負けていません。 家内はパキスタン名物の「メヘンディ」をしてもらいました。

パキスタン庶民の暮らし(1)

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このブログで何度か話しておりますが、パキスタンは貧富の差が 大きい国です。 使用人を何人も使用して生活している者がいるかと思うと、テント暮らしの者もいます。この貧富の差を解消しなければパキスタンの発展は進まないと思います。数家族がテント暮らしをしています。テントの中には昼間に女性と子供だけでした。男性はどこかに働きに出ているのかもしれません。 川の近くにテントを張って生活しています。水辺の生活は貴重な水を入手しやすいため多くのテントがあります。しかし、衛生環境はどうなのでしょうか。先進国のホームレスとは異なる社会です。 誤解を恐れずに申し上げると、貧しい生活を強いられている人々は、褐色の肌とムスリム以外の宗徒が多いような気がします。つまり、人種と宗教の問題です。人工国家パキスタンはムスリムのために作られた国です。ムスリム以外が住むには差別と闘わなければなりません。 社会問題の一つに、レイプ被害があります。被害者の多くは貧しい人々であり異教徒が多いようです。インドと同様にカースト制度が残るパキスタンでは下位階層の人々は虐げられているようです。

パキスタンの屋台

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パキスタンの人は夜更かしです。結婚式は22:00以降に食事が始まり翌日の午前2:00~3:00まで続きます。 知人に誘われて夜の街に繰り出しました。オジサンの好きな夜の話は別途、今回は一般のパキスタン人がどうなのかという話です。 夜の11時過ぎです。屋台が出ていて大変な盛況です。アジアの暑い国では冷房が発達していないため夜になると外に出ることがありますがパキスタンも同じですね。 さて、クイズです。ふつうのパキスタンの家では食事をどうしているでしょうか。 1)お母さんが調理する。 2)おかずやご飯、ナン(ロッティと呼びます)を購入して家で食べる。 3)外食する(食堂で食事をとる)。 街の食堂でチャパティやナンを販売している店の調理状況です。何回も会うのでたまには無料でくれないかなと思いますが、一度ももらったことはありません。しかし、何回も購入しているので私が行くとすぐに2枚のロッティを出してくれます。2枚で60ルピーです。 さて、クイズの回答は1)~3)のすべてです。外食や中食も多いです。総菜屋さんが発達していますので単身者でも困ることはありません。朝早くから店が開いています(パキスタン人の朝早くです。日本人の朝早くとは異なります。さて朝早くとは何時頃でしょうか。。。) ただし、シナサンには味付けが、辛い、塩が多いので毎回は食べられません。