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旅行

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昨年の7月から担当する業務を1人で行ってきたために土日も出勤して仕事をしてきました。 本年2月からは土日は常に出勤し、1日も休まずに、時間外手当も出ないサービス残業で仕事をこなしてきました。しかし「非正規の派遣労働者」には仕事は任せられない(ということだと思います)、 それでは、ということで出勤した日の代休をとることにしました。 カラチに居たくないので、 5/21~5/30 モロッコ 6/14~6/22 ウズベキスタン 7/13~7/17 英国(シェフィールド) に行ってきます。これらはパキスタン旅行と同様に番外編としてまとめるつもりです。 さて、モロッコといえば。名画「カサブランカ」です。何度も見ました。パソコンにも入っています。ハンフリー・ボガードとイングリット・バーグマンが主演です。イングリット・バーグマン、きれいな女優さんですね。「カサブランカ」はハリウッドで撮影されました。聖地巡礼はできません。 映画の店を再現した「リックカフェ」には行ってみたいと思います。「時の過ぎ行くままに」も聞きたいですね。リック(ハンフリー・ボガード)とイルザ(イングリット・バーグマン)が踊ったように私も踊りたい。尤も私にはイルザ(パートナー)がいないので踊るとしたらシャドウですね。 出展:https://4travel.jp/os_shisetsu/10418802 フランス植民地時代の旧市街は歩きたいですね。そしてフェズの迷路のような街、マケラシュのフナ広場を歩くつもりです。 サハラ砂漠をラクダに乗って歩きます。ラクダに乗るのは初めてなので楽しみです。 何も考えずに頭を空っぽにできたらいいな、と思います。  

哀しみの渦(灰色の渦)

何も見えない 色も光も音さえもない 冷たくも暖かくもない 灰色の渦が 私を包む 手を伸ばせば 渦がある 渦は まるで 私を拒むように 触れることを拒み 声を拒む 哀しみの渦は すべてを遮断し 心までも 閉ざし 私を 孤立無援な「モノ」に変えていく 仕事と学業を両立させようとした大学院時代、自分の能力の低さに気づき唖然としました。能力が低いので、時間をかけて理解を深めないと、院生仲間に追いつくことができなかったのです。私は「落ちこぼれ」でした。   能力x時間=成果 私の能力の低さを見越して「非正規派遣労働者」に仕事を任せることはできない、ということなのでしょう。私は、あなたが求める成果を出せない人間なのでしょうか・・・ お金が欲しくてカラチに来たわけではありません。私が貢献できる事象を期待してきました。働き甲斐を求めて来たのです。 残念ながら40年以上仕事をしてきた自分の誇りと自負心が、根本から否定され、私自身まで否定される社会、ここに私の存在する意義は見出せません。 能力の低い者は、何もしてはいけない 能力の低い者は、何もできなくなる 能力の低い者は、ここにいる必要がない 能力の低い者は、・・・

哀しみの渦

現役時代、冗談で「総武線で中年サラリーマンが自殺」と出たら、私かもしれないから確認してください。と言ってきました。もちろん、そんなことが起こるとは本人も思っていません。 「シナサンが壊れた」というメールが飛んだそうです。確かに壊れる寸前です。 考えてみれば、カラチに赴任した2年前にもパワハラにあい、「辞めて日本に帰る」と派遣元に連絡しました。まだ、その頃は乗り越えるだけの気力が残っていました。今回はちょっと違っています。 夜、眠れないのです。あれをどうしよう、これをどうしよう、と常に考えてしまいます。明け方5時か6時にうとうとすると、7時30分に護衛か運転手が起こしにきます。「ごめん、寝坊した」と言って出勤します。 業者からは、シナサンから夜中の2時とか4時にメールが入る。「シナサン、どうかしましたか」と問われます。「ごめん、気になったから忘れないうちにメールした」と言っておきました。 お腹がすかないのです。昼食時間も仕事ができます。体重も落ちてきてダイエットにちょうど良い、とうすぶいていました。 そして、仕事のミスが増えました。それも簡単なケアレスミスばかりです。 ミスした仕事のやり直しでまた仕事量が増えます。 オーバーキャパなのに仕事が降ってきました。事情も理解しています。仕事は好きです。私でできることなら私が進んでやりたい、と思っています。休日出勤でも、家に持ち帰ってでも仕事はやりたいほうです。そして、楽しく、やりがいのある仕事をしたいと願ってきました。しかし、 over capacity+to do the job+redo mistakes=∞ 非正規派遣労働者には仕事を任せてもらえません。それが分かった時「心が音を立てて壊れていく」ような気がしました。そして、私の周りには、だれも助けてくれる人がいないことに気づきました。誰も助けてくれない。現役時代は誰かが助けてくれました。それがいないのです。これが大きかった。哀しみの渦が足元から上がってくるような気がしました。 電気が使えない、テレビが付かない、Wi-Fi が使えない・・・彼らにとって、私はただの「用務員のおじいさん」なのです。 私はここには存在していないのです。いいえ、存在してはいけないのです。 哀しみの渦は心まで覆ってしまうような気がします。 私は何なのですか あなたは私を何だと思っていますか 私は...

背伸び

背伸びをして生きてきました。 能力の低さは自覚しています。研究もダンスも一流にはなれませんでした。 何とか人並みの技術者になれるように努力してきました。 「努力は天才なり」 「努力に限界はない」 他人が10やれば12やり、20やれば24やる。他人の2倍はできませんでした。それが背伸びの限界でした。 テレビは見ません。イイエ、テレビを見る時間がないのです。能力の低さを時間でカバーしてきたのです。そして体力には自信があったのです。 背伸びができなくなりました。 私は何もできない、してはいけないのです。 階級社会のパキスタン、日本の組織も階級でがんじがらめです。 学生時代の教職の授業を思い出します。そう、受験についてです。階級社会を乗り越えるには学歴が必要です。家柄は変えることができません。学歴は努力すれば変更できます。そしてそれはステップアップに繋がるのです。 努力が通用しない組織、アッパークラスの人のためにあるロークラスの私たち、我々には絶望感しか残りません。絶望感は渦のように体にまとわりつき、前進する気力を削いでいきます。

閑話休題(慟哭)

私は40年以上サラリーマン生活を送ってきました。求められる成果(結果)を出せるように努力してきました。組織の成果目標が異なると、その方法も異なるようです。 私は誰ですか あなたに私が見えているかしら あなたにとって私は透明人間ですか 透明でも人間です それとも存在しない人間ですか   私はここにいます あなたに私の声が届いているかしら あなたにとって私はただの置物ですか 私の声が聞こえますか 私の声にも耳をかたむけてください 私は所属する派遣元からカラチの某事務所に派遣されている「非正規の派遣労働者」です。自分の立ち位置はわかっています。待遇の違いも理解しています。出過ぎないように抑えてきました。「非正規の派遣労働者」には重要な仕事は任せられない、正規職員が行うべきである、それならお手伝い仕事に徹するしかないですね。 建物を作るには大工だけでなく、基礎を作る人が必要です。ゼロから仕事を進めてきましたが、その活動は必要ないようです。 仕事も事前にした打ち合わせを基に同意事項、協議事項を分けて対応策をとるようにしてきました。日本の古い組織が現実に対応できない状態を垣間見たような気がします。 組織の文化が異なると戸惑うことばかりです。戸惑い、そして潰れていく・・・ 大学院時代の恩師、故佐々木先生は「現地のことは、現地の人に任せるのが一番良い」と仰っていました。現地のことが分からない中でどのように判断するのでしょうか。不思議でなりません。 東日本大震災の時の東京電力本店と福島第2発電所のことが脳裏に浮かびます。 参加してもただの置物ですから、職員だけの集まりに参加しようとは思っていません。税金と思って会費は払います。 ******************* 私は、友が無くては、耐へられぬのです。 しかし、私には、友はありません。 ・・・ 私を、あなたの友にしてください。