八木重吉 詩集「秋の瞳」

パキスタンに、八木重吉の詩集「秋の瞳」を持ってきました。
この詩集を初めて読んだのは、いつだったのか忘れてしまいました。中学を卒業した年には持っていたような気がします。ずいぶん前から八木重吉を知っていたような気がします。

秋の瞳の 序 にはこのように書いてあります。
 私は、友が無くては、耐へられぬのです。
 しかし、私には、ありません。
 この貧しい詩を、これを、読んでくださる方の胸へ捧げます。
 そして、私を、あなたの友にしてください。

この序文にひかれたことは確かです。

そして、いくつかの詩が書かれたページがすぐに開きます。何度も何度も読み返した詩です。今でも諳んじて声に出すことができます。
その中でも、「大木をたたく」には折りシワが付いています。

「たいぼく を たたく」

ふがいなさに ふがいなさに
大木をたたくのだ、
なんにも わかりやしない ああ
このわたしの いやに安物のぎやまんみたいな
『真理よ 出てこいよ
出てきてくれよ』
わたしは 木を たたくのだ
わたしは さびしいなあ

中学を卒業して、希望をもって高校入学を待つ時期ですが、将来への漠然とした不安と深い絶望の底に落ち込んでしまったことを思い出します。
遠い記憶の破片が胸に刺さります。

この陽気な南国のパキスタンでも、なぜか私の周りだけに「深い哀しみの渦」があるような気がします。この渦は私を蝕んでいくのでしょうか。

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私は、友が無くては、耐へられぬのです。
しかし、私には、友はありません。
この貧しいブログを、これを、読んでくださる方の胸へ捧げます。
そして、私を、私を、あなたの友にしてください。



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