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詩作が趣味です

19歳の時に詩の会に参加しました。思いを言葉にする楽しさを知り、数行の言葉から大きなイメージを膨らませることができることを知りました。少しずつノートに書き留めてきました。人に見せるものではありません。赤裸々な私の心(魂)の叫びです。 書き留めてきた詩を「みずぐるま」の題でまとめました。どのような内容だったのか覚えていませんが将来に対する希望と夢と不安と絶望とが入り混じっていたような気がします。 携帯電話がなかった若いころに交際していた女性に手紙を書いていました。その手紙の最後に数行の詩を書いて送っていました。彼女曰く「何を言いたいのかわからない」「手紙の内容と関連がない」・・・彼女とは波長が合わないようでした。40年以上たった今も彼女とは波長が合わないのかな・・・ パキスタンに来てフンザ、ラホール、ムジェハラバードでは、数編の詩を書きましたが、カラチでは1編の詩も書くことができません。私にとってカラチは鬼門のようです。 明るい詩を書けるようになったら、復活できた証拠だと思います。

番外編(モロッコ旅行)

イメージ
職場で、「モロッコはどうでしたか」と問われると、「とても楽しかったですよ。もう一度行きたいと思います」と殊更のように強調します。 そして見せる写真は 続ける言葉は、「カラチに帰ってきたくなかった」(別の意味で本音です。カラチには戻って来たくなかった)。 ムスリムの社会では女性の写真は撮影できません。しかも男性との2ショットなどはご法度です。モロッコは緩いムスリムの社会なので楽しい写真が撮れました。楽しかったということを強調したかったのです(ただのスケベ親父に成り下がっています)。 異文化の交差点はいろいろなものが混じって興味深いですね。観光客の大部分はスペインからのお客のようです。フランスの植民地だったのですが、距離的に近いせいかスペイン語が飛び交っています。 陽気なモロッコ人です。歌と踊りがそこかしこで繰り広げられます。男同士の抱擁も気にならない、半分パキスタン人のシナサンですから、私も男同士で踊ってしまいました。 私の顔を見ると、你好(にいはお)、いかに中国人が世界中に出て行っているのかがわかります。アラビア語が公用語の国ですが、拙いウルドゥー語で話しかけるとなんとか通じるようです。挨拶はムスリムの挨拶で十分でした。 そして、ホテルで会った、ミス南○○○のフランス人。一緒に写真を撮ってくれと言ったら断られました。尤も腰の高さが私の胸くらいありましたから・・・

閑話休題(悔い)

私は燭台(ろうそく)をトレードマークにしてきました。将来を明るく照らしたいという希望がありました。貧しかった子供時代から何とか将来に希望を持ちたかったのです。子供時代から、明るい未来を期待していたのだと思います。 奨学金を借りて学校を出ました。その頃から「借金は投資だ」と思っていました。あの頃借りた数十万円が大きな果実を私にもたらしたのです。70歳を超えた今、振り返ると人並みの人生がおくれたのもあの借金がもとになっているような気がします。 さて、友人からこのブログにふさわしくない話題(私の絶望感)をなぜ載せるのかと問われました。このブログの最初のページに 管理人の親族、友人、知人に・・・シナサンはこんな生活をしていますヨ、と伝えることを目的しています。 と記載しました。私がどのような状態なのかを知らせることもこのブログの目的です。 72歳の私の残りの人生は10年余りです。悔いなく生きていきたいと願っています。 ただ、私は絶望感に襲われ、生きていくことに自信を持てなくなっています。「辞めればいい」のはわかっています。しかし自分が提案した仕事を放棄して辞めて帰国する(逃げ帰る)と新たな悔いを残すような気がします。 何とかその仕事を終えるまでは踏みとどまろうと考えています。 ある方から「お前は大丈夫だ。少し休んでいても、お前なら挽回できる」この言葉を電話とメールで何度も聞かされました。そう言ってくれる人がいることが幸せです。 同じ後悔をするなら、行動に移して後悔したほうが良い。これが私の人生訓です。 辞めない決断をして後悔するなら、それでいいのです。